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断念の記 [音楽]


2024年4月26日(金)曇り.やや肌寒い.

世界はますます血生臭くなり,それにつれて礼節や芸術は後退しつつあるようにみえる.怒りの爆発,冷笑,告発,侮蔑がSNSに溢れ,称賛と笑いはanimal worldで身をすくめている.


6月下旬,ガランチャが2年ぶりに来日する.今回は同伴者があって,メトロポリタン歌劇場オーケストラ(Yannick Nézet-Séguin指揮)およびLisette Oropesa,Christian Van Hornである.ガランチャが歌うプログラムはバルトークの歌劇『青ひげ公の城』で,演奏会形式の上演となる.

ちょっと前に,チケット販売のお知らせメールが来た.東京公演は仕事で行けないので,聴くとすれば兵庫公演しかない.演奏会形式とはいえオーケストラをバックに歌うところを生で聴いてみたいという気持ちは非常に強い.座席を確認するとまだ良い席が空いていた.もちろん安くはない.

アレコレ考え迷った末,結局,今回は見送ることにした.率直に言って費用の問題もあるが,それが主な理由ではない(前回はアンコール全て聴いたので,帰りの足がなく大阪に泊まった.アンコールの途中で席を立ち,後ろを振り返り立ち止まり,また振り返りながら暗い廊下に出ていくサラリーマン風の中年男性が気の毒であった).


どうしようか迷っているときに一番思いを巡らしたのは,実は音楽と機会費用の問題ではない.それはほぼ毎回音楽が勝つのである.今回は,6月に世界で何が起きているだろうか,ということをまず考えた.中東情勢がより緊迫していて,エネルギー危機に見舞われている可能性すらある.そんな最中に,ひとりだけ関西にでかけていい気なものね,と家族に責められ落城する姿が予想できた(家族にクラシックを聴くものは誰もいない).まず,食べ物だろうが,と.

もう一つの理由は,出しものである.歌劇『青ひげ公の城』は,あまり気乗りしなかった.昨日までスカラ座で歌っていたCavalleria Rusticana ならば,一も二も無かっただろう.つまり,こちらの芸術的成熟度が不足していたということだ.代わりと言っては何だが,Cavalleria RusticanaがLa Scala TVで視聴できるらしいので,そちらを弁解として断念した.

コロナ以降,少なくとも個人的には,音楽をめぐる制約条件はまだ解かれていない.ずっとこのままかもしれない.


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「あなたはまだ若いのにお父さんもお母さんもなくて大変不幸な方です.私がお母さんの代わりになって上げますから,しっかりやっていらっしゃい」.こういう言葉は二十八歳で破産した父に死なれた若者にはわすれられないものである.


「私は戦後アメリカの日本に対するやり方には,感心しないことのほうが多いのだが,アメリカ人の中に,いい人がいることを疑ったことはない.それは私が学生時代から倫さんの人格に触れ,また大きな恩義を受けているからである」


その社の主人はI should say your son speaks excellent Englishと書いてきた.私のブロークンな英語を知っている彼にはよほど驚異だったらしい.このことを倫さんに伝えると,「あたりまえです.私の英語の教え方はいいのです」.

或るイギリスの出版社が,文学者の自筆経歴を載せるのを特徴とするWho's Whoを企画して,私に英文経歴の提出を求めてきた.私は再び倫さんに助けを求めた・・・出版社は,your admirable Englishと書いてきた.正確な書名は忘れてしまったが,「その著者自身による経歴」の項は倫さんの作品である.

ー大岡昇平「思い出(『加藤りん先生のおもかげ』)」より

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『俘虜記』や『レイテ戦記』はこのスウェーデン系アメリカ人女性なくしてはあり得なかったことを今回初めて知った.どこで,だれに助けられ,どこで誰を助けるかわからない.

関連して,ここ数年,パンデミックにあって命を保護する情報の大半は「鬼畜」米英の人々から得たものである.心底,感謝しかない.







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