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1812年の彗星 [本]

2023年11月30日(木)暗い木曜日.

『戦争と平和』が第2巻の終わりまで来た.Peaver&Volokhonskyの英訳版で,ちょうど600ページのところ.まだ60ページほどしか読んでいないような気がするのだが,あっという間だった.あと半分で終わってしまうのが残念でたまらない.

通勤の電車の中でよむのが楽しみで,特急にのらずに各駅停車をえらぶ.ページを開けば,電車の中が1811年末のモスクワになる.そして,Prechistensky Boulevardの夜空に,運命の年1812年の彗星が現れて,ピエールとともにそれを見上げる:

"the huge, bright comet of the year 1812--surrounded, strewn with stars on all sides, but different from them in its closeness to the earth, its white light and long, raised tail, as they said, all sorts of horrors and the end of the world.

But for Pierre this bright star with its long, luminous tail did not arouse any frightening feeling. On the contrary, Pierre, his eyes wet with tears, gazed joyfully, at this bright star, which, having flown with inexpressible speed through immeasurable space on its parabolic course, suddenly, like an arrow piercing the earth, seemed to have struck here its one chosen spot in the black sky and stopped, its tail raised energetically, its white light shining and playing among the countless other shimmering stars.

It seemed to Pierre that this star answered fully to what was in his softened and encouraged soul, now blossoming into new life."


トルストイは本質的に映像的な作家である.天上の彗星について詩的に記述するときも,婚約者を裏切って別の男と駆け落ちを図るナターシャの内面的な変化ついて書くときも,あたかもその姿をありありと眼の前に見ているようにかく.そして,画家の一筆が絵画全体に魂をあたえるように,ほんの一言の描写で,なぜナターシャが裏切ったのかを納得させることができる.真に驚異的な表現力というほかない.

今回とくに驚いたのは,ナターシャが最初の誘惑を受けるモスクワのオペラ劇場の場面(第2部第8~10巻)である.田舎暮らしの灰色な日常を離れた彼女は,華やかで虚飾に満ちたオペラ観劇の社交場の雰囲気に酔わされていく.その過程で,元来奔放な個性をもつ若い女性が,自分がだれなのか,そこがどこで何が起きているのかが徐々にわからなくなっていく様子は,彼女の想像力が常軌を逸した突飛な方向に広がっていく記述に,象徴的にかつ適格に捉えられている:

"Now the thought came to her of jumping up to the footlights and singing the aria the actress was singing, then she wanted to touch a little old man who was sitting not far away with her fan, then to lean over to Helene and tickle her."


'and tickle her' を読んだときは,驚きのあまり誤植を疑った.この部分はかつて何度も読んだはずだが,記憶から飛んでいる.どうすれば,こんな突飛なことがかけるのか? ここでトルストイはまだ10代後半の女性に完全になりきっており,彼女の内面が著者の内部にプロジェクトされている.


『戦争と平和』の邦訳はいつくか出ており,そのうち2つは繰り返し読んだ(最初にどの訳で読むかは,非常に重要だ).英訳は2 versionsで読んだが,今回のPeaver&Volokhonsky訳は傑出しているのではないだろうか? そもそも外国語で日本語を経由しないので,その時々の場面が映像として直接脳内に焼き付けられる.視覚的なトルストイの本質がいっそう際立つのはそのせいかもしれない.


比較的若い頃(と言っても30代の後半だったが)最初に読んだときには,ナターシャの裏切りが理解できなかった.いま再び読んでみて,彼女の心変わりが完全に納得できる.これがわからなかったというのは,未熟だったというしかない.裏切られた側のボルコンスキー公爵も,彼自身の責任をのちに反芻することになる:

'" Don't leave!" was all she said to him, in a voice which made him wonder whether he ought indeed to stay, and which he remembered long afterwards.'


ウクライナ紛争が契機となってなのか,「文庫本の新訳が昨年完結した光文社によると,ロシアによるウクライナ侵攻後,書店からの注文がほぼ二倍になったそうです」と報道されている.いまの若い世代はどのような小説,とくに恋愛小説を読んでいるのだろうか? 

この小説はたんなる恋愛小説ではないが,その要素も含んでいる.なによりも,繰り返し読むことのできる深みをもっていて,新しい発見や感慨はみずからの経験とともに広がっていく.実際の現実の戦場の有様を記述しながらも,ここにほんとうに書かれているのは,我々がどのような思想信条をもつかに関わりなく,だれしも避けることができない生きる戦場の姿である.

残された600ページがいまの生活の光である.楽しみで仕方がない.



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1年7ヶ月 [イヌ散歩]

2023年11月26日(日) 快晴.

今日は自転車で山にでかけた.大野城の麓から福岡県の教員研修所をへて上にあがっていく道はけっこう傾斜があって,途中で自転車をおりて押してのぼる時間がながくなる.それが予想できたので躊躇していたのだが,紅葉谷も見頃だろうと思って思いきって行くことにした.

この道はかつて車で上って,それから降りて歩いて下った散歩道である.毎月,何度も来たのでいまでも庭のような気さえする.クネクネと曲がって上がっていくwinding roadの山道の至るところに思い出がある。

ここで,ガードレールのデリネーターにリードを掛けて写真を撮った.石の階段の急坂を滑るように駆け下りてきたら,ちょうどここで道路清掃中の市職員とぶつかりそうになって土佐犬と間違えられた.そして,文字通り,道草を食べて吐いたのはこの場所だ.

寒い日に,しんとした杉林に見入ったまましばらく動かなかった.杜が豊かに繁るころには、緑の梢に見とれて野鳥のさえずりを聴いていた。それから歩き出すときには、微かに口が開いて柔らかな顔をした.自然の繊細を分かち合った.



死んで1年半以上が経過して,昔の散歩道をもう1度歩いてみたいという気持ちが湧いてくるようになった.少し前までは出かける前から気持ちが沈むので,とてもその気にはなれなかった.同様に,かつてそこを歩いたときに撮った動画も見たくなかった.


今は逆に見たい気持ちの方が強まりつつある.どんな表情で歩いていたか,立ち止まったときに何を見ていたか,そんなつまらないことを確認したい.口を開いて笑って歩いているのを見ると,これを撮っておいて良かったと思う.かつてのイヌの幸せはいまの自分の慰めである.


紅葉谷は盛りをやや過ぎた華やかさだった.ここで共に立ち止まって見上げたときのことが思い出される.下りつつ何度も後ろを振り返った.どうしてだか,まさかその日のうちに死ぬとは思わなかった最期のときのことがよみがえった.

そして,1年7ヶ月経って,もう戻ってこないことを受け入れたことがわかった.

紅葉1.jpg



佇めば 紅き斑に 濡れそぼつ
共に来て 下りは独り 紅葉谷



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雲の蔭に [音楽]

2023年11月2日(木)晴れ.

Gazaでは連日空爆がやまず,難民キャンプも市民の避難場所もお構いなしに続いている.いまは携帯と各種のSNSでそうした動画が共有されるので,数千人の子供や幼児が泥と血にまみれ,親が叫び,少年が死んだ兄弟にすがりついて神に叫んでいる様子を,イスラム世界だけではなく世界中が見ている.

理性的な指導者であれば,その暴露が将来自らと自国民にとって何を意味するかを考えて現実的な抑制が働くはずだが,それが窺えない.文字通り鳥肌がたつが,政治家も国民もその少なからずが,霊に憑かれたように殺人と絶滅に熱狂している.常軌を逸しており,制止することができるとは思えない(これは背後に働いている力の種類を暗示する).


爆破されて瓦礫の山になった難民キャンプと,その周囲を弾幕のように覆い漂う灰を切り裂くようにして,瀕死の子供を抱えて人々が病院に走る.見ていると精神的におかしくなる.

しかし,将来,我々がそうした無差別な暴力から守られる保証は皆無である.それどころか,数年前に始まり,今後,一層拡大するに違いない破壊に世界中が巻き込まれるだろう.




〜〜〜

'He looked at his friend in astonishment and could not take his eyes off him. He was struck by the change that had taken place in Prince Andrei...his gaze was extinguished, dead, and despite his obvious desire, Prince Andrei could not give it a joyful and merry luster.'

'No, I humbly thank you, I promised myself that I would not serve in the active Russian army. And I won't. If Bonaparte was camped here in Smolensk, threatening Bald Hills, even then I wouldn't serve in the Russian army.'









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